2014年6月28日

讀後感#みえない未来相談室


看了KMP的一本很有趣的作品 - 看不到的未來討論室
原來她們也會有20多歲(即是我現在的年紀)有著同樣對未來的迷思,不安.
工作是不是我們人生的全部?自己由畢業以後轉過幾份工作,去了日本WORKING HOLIDAY.
但仍未找到屬於自己的道路.甚麼的生活方式才適合自己?

"人生中最後要的才能是 - 堅持下去的才能和肯努力的才能"
"不用太著緊於一兩件事,甚麼也嘗試,就會自然找到自己,可以客觀地審視自己.
這幾句話令我回想起自己兩三年前開始一直都焦急自己的前途(就算到了現在也是).STEVE JOB說過:將自己的人生中點都串連起來.
由出差,轉到寫PLC程式,開始學實際硬件和利用屴不算強的語言能力,走到了現在.

"工作是將利益產生然後給予別人的事情.而對方將其利益化作金錢報答你"
你還記得自己第一次領薪水時的感受嗎?我的第一次工作是在7-11做PART-TIME,開夜車工作都只是20元1小時.
但到了領薪水的第一天,人生中第一次用自己的力量去賺取的金錢,這份感動深深地刻在我心中.
可惜的是,不知道從何時開始我們忘記了這份感覺..

"為甚麼他們不了解我?"
"為甚麼他們如此對我?"
心底中,腦海中的"自己"不斷地變大,再沒有容下他人的位置了...

回頭一看,自己一直以來學習都總是半途而廢.
英文
日文
JAVA,C,HTML,CSS,JAVASCRIPT,ETC...
SAXOPHONE
跑步,籃球
影相
但KMP卻說不用灰心,我們就是這樣迷上他們,然後倦他們,或是想放棄,又可能會再度迷上.
做著這件事時感到迷惑左思右想的時間不會白白流走.
但一味只是思考著做不做,這些時間就是白花了.

多謝你們,KMP!


日本語ノート

自分がやりたいことと自分ができることはちょっと違う、ということ。それも、いろんな経験の後にわかる。
なんとなくの方向を決めて、これを近いことをやってみれば、技術と知識が身についた頃には、自然と絞ってくる。

仕事にするってことは、相手に利益を与えるってこと。
自分がその”好きなこと”でひとになにをどう提供することができるってこと
その報酬としてお金いただける、それはお仕事。
自分のやったことに”お金”という価値を与えて貰う。

好きなことっていろいろ…
ただやってる間にtな惜しい
嫌なこと忘れて沒頭できる
やってる間に苦しいけど、達成感がたまらない
大変だったのに終わるとまたやりたくなる。

自分が才能がない。
いつかはやるつもりだけど、いまは無理。
人と比べるとへこむ。
これが自分が先に進めない理由だと思ってたけど、実はただの言い訳。
才能の中で一番大事なのは続ける才能と努力できる才能。
今から始めたんじゃもう遅いという感覚。なにが遅いのか。特別な人たちと比べてやる気がなくなるだけ。
やればできるタイプという人、できないではなく、やらないだけという言い訳なんだろうけど、できるのにやらないのは一番カッコ悪い。

自分のことについて好きか嫌いかと価値があるかないかとは全く関係ない話です。
自分をわかってほしい、認めてほしい。これでいっぱいいっぱいの時、ほかのをわかろうとする余裕がなかった。

いろいろやって自分の限界と現実をいった時はじめて自分を客観的にみることができる。
だめな自分をしった時こそ、やってくれるの相手がみつけたり、他人を尊厳したりできる。自分の役割が知ったり。
一人以外とは…
相棒を見つけること
仲間を集まること
会社のような組織に入ること
家族
夫婦
どんなことだろうとそこに思いやりがなかったら成立しない。思いやりを持つことが面倒なら一人でやるしかない。
あんまりなんでも一人でこなしてると、他人になにかしてもらった時、感謝の気持ちの表現の仕方とかわからなくなる。

自分が表現したものがどんな反応を得るのか、
人に見せて、初めて分かる自分の位置。どんな実力?どんなレベル?とか。
自分の位置がわかる。
自分を客観的にみることができる
なにを求められいるかがみえる。
自分はなにをすればいいのかわかる。

すべて自分にできることを照れずに書いてみると、見えてなかったの自分がそこかもしれない。
どんなにめんどくさいことでもいやなことでもやれば、終わる!単純なこととしよう。

大人になれば自然にできるようになるものはほとんどはない。
考えることいは特に。
人生を自分で考えて決めて作っていけるのが大人、かな。
いちいち深く考えること。当たり前のようなことでも、”本当に?””そうかもしれないけど”って疑問をもって、
自分で考えてきめる癖さけつけおけば。

昔の自分が”どうやってみつけたの?”聞いてきたら、”見つけたい”と思い続けるってことかな。”求めていれば”必ずそこに行ける。
成功と失敗、リッチと貧乏、勝ち組負け組、幸せと不幸。結果をただ2つで分ける、無意味な発想。
その間に存在した、たくさんの経験、充実感、満足感、自分、挫折、様々な感情…には価値がないみたいにずっとある。
自分で決めて、どの道も正しい、引き返す道も、諦める道も。
とにかくいろいろなことやってたくさん感動すること。これが”自分が楽しむ力”をつける。

気分が載ってる時は、いっぱい仕事をして、疲れた時散歩に出かけて、そしたら次にやりたいことを思いついて。

自分満足の段階で終わらせず、生きるための仕事につなげた形。
他の人にもなにかを与えることがができる仕組み。
自分だけが満足していた時よりずっとドキドキする。

自分にはこれといった才能がないとムタに過ごしていた昔の自分。
才能がないと感じと、情熱的になれない。
どうぜ誰よりもできるようになんてならなし、と人と比べる。
自分ができることなんて、全然たいしたことのない気がする。
自分ができそうなことを考えましょう。
”努力次第で”、才能になっていくんだと思う。
でも、そのできそうなことは大抵ちょっとでもmやってみなくちゃわからない。ちょっとやってみたら案外奥が深く、
ハマって、飽きて、一旦やめてmまたやりたくなる。
失敗して、落ち込んで、悩んで。また立ち上がって。
そんな風に迷えばいつか必ずなにかをみつけると思う。
迷わないとなにもわからない。
やってみてやっぱりやめようの時間は無駄ではない、
けどやらないで思い悩むだけの時間は無駄だ。
ぐるぐる迷ってやりたいこと見つかる。

”二人であっている”時を考えましょう。

大人になれば自然にできるようになるろうっと思ったことを考えよう。

今でも道を探しながら歩いている。
失敗でも成功もしない、続けていく限りは多分ずっとわからないことばかり。
それを心配する前に自分で考えて、選んで、行動して、ダメなら別のやり方を考えて、それを繰り返して、いろなことを体験していくこと。
興味を持てることだったら毎日続けやすいし、充実する。やっている間も楽しく、そして次から次へと知りたくて、
苦しいにならない。
好奇心が大事です。
なにもやりたいことを一つ絞らなくてもいい。

楽しいはいろいろな意味を持つ。充実感、達成感、満足感、緊張感。決して単なる楽しいわけではない。

たとえ好きなことがあっても自分のためだけにやることだったら、続かない。
人は誰かに必要とされた時、パワーがでる。
喜ばれた時満足感じる。

暇と余裕があるのとは違う状態。